野島と北川

冒頭の
「なんたらかんたら、私たちの心はパリンと割れてしまった、まるで風月堂のゴーフルみたいに」
とかいう白石美帆のモノローグを聞いた途端に「かーっぺっ」と道路に唾を吐き捨てる下衆な親父の心境になった私である。
何だよその比喩は。ゴーフルってあんた。
何って、「オレンジデイズ」のことである。
このクール(っつーか去年の「マンハッタンラブストーリー」以降)は全然連ドラを見てない私であるが、とりあえず最終回だけでも見ればなんとなくドラマを全部見た気になるのではないかと思ってテレビの前に鎮座ましましたワケだが、も、すっかり出鼻を挫かれた。
どうも私はドラマにおける独白というのが必要以上に気になるタチのようで、ちょっとでもくっさい文章を読まれるとガラスを爪でひっかいたレベルの不快感とか居心地の悪さを感じてしまうんである。
その気味悪い独白を恥ずかしげもなく垂れ流す筆頭が野島伸司なわけだが、北川悦吏子もヒット作を連発して大先生になった後はかなり野島化が進んでいるような気がする。
勿論人の趣味なんてものはそれぞれなので、彼らの書く脚本のドラマが好きでたまらない人がいたって構わんし、そういう人が多く存在するからこそ彼らは売れっ子として持てはやされているのであろう。
かくいう私も野島の「高校教師」(真田広之桜井幸子がやった最初のヤツの方ね)とか熱心に見てたし、「愛という名のもとに」も見ていた(こっちは結構イライラしつつ)。あと「この世の果て」もはまった(理由は三上博史豊川悦司が出てたから)。

えー、野島作品の名前を出したところでひとつ。この人のドラマのタイトルって曲のタイトルからとってんじゃないかと私は思っているのだがどうだろう。
例えば上記3タイトルの場合
「高校教師」→POLICE
愛という名のもとに」(「In The Name Of Love」)→U2
「この世の果て」(「The End Of The World」)→U2
はい、また話がそれた。

しかしだ。何と言うか、やっぱドラマや映画の中のセリフって扱いが意外と大変なのかなあ、という気はする。
同じセリフを活字として読んで、自分の中で咀嚼する場合は違和感なくても、視覚と同時に耳に入ってくる音として聞いた場合は受ける印象が全く違う場合も多々あるのではないかと。
なんで野島や北川の書くセリフもひょっとして活字で読めばすんなり受け止められるのかもしれん。ま、多分私の場合はこの人達のドラマのノベライズ本とか確実に読むことはないだろうからあんまエラそうなことを言い垂れるのもどうかと思うが。そんで読んだとしてもやっぱ「フッ・・・」と鼻で笑って終りそうな気がするが。

※上記の意見に関して、とりあえず私の感覚が世間一般の最も客筋の太い所からズレてるだけなんで野島、北川ファンの方々はさらーっと受け流してやって下さいお願いします。